苦節入門13年、昭和63年6月に池袋演芸場で志ん八改
め「古今亭右朝」真打昇進襲名披露の会の番組表でこさえた
額縁である。とても薄くやわな安っぽい紙に印刷されている
ので、すぐに破れたりシワになってしまう宿業ある番組表だ。
それだけに、今から34年前のシロモノが残っていることは
奇蹟である! あの日、右朝は「この名跡には、橘右近師と
志ん朝師の二人のかけがいのない師匠への思いがこめられて
いる・・・」と、心境を熱ぽく語り『干物箱』を演じた。
【古今亭右朝の略歴】(1948年11月2日~2001年4月29日)
本名は田島道寛。昭和23年11月2日東京・台東区生まれ。
三人兄弟の末で、小・中学校は国分寺市内の公立。都立武蔵
高校、日本大学の芸術学部へ進み卒業。大学では落研に所属。
右朝が会長で高田文夫副会長。ふとしたことから寄席文字宗
家橘右近の門下となり橘右朝。その後、落語家に転進し昭和
50年に志ん朝に入門し志ん八を頂戴し、同名で55年二つ
目に昇進した。
研究熱心な性格と精進の甲斐あり、国立演芸場の花形若手
演芸会新人賞銀賞、NHK新人落語コンクール最優秀賞、に
っかん飛切落語会努力賞と奨励賞、花形若手演芸会新人賞金
賞などを受賞するも、落語協会真打昇進試験では、噺家のキ
ツイ洒落で不合格となる。しかし、彼に目をかけていた寄席
の席亭たちの猛抗議もあり、昭和63年6月に真打昇進(落
語協会100人目)となり右朝を名乗る。その後も花形演芸
会の金賞や大賞に輝く、将来、古今亭を背負う逸材として期
待された。真打昇進後、新宿・末廣亭で「こぶ平・右朝二人
会」や「右朝・正朝の二朝会」などを開き精進を重ねた。今
回、ヤフオクに出品した、この額を見るたびに、志ん朝・右
朝子弟の早すぎる死残念に思うばかりである・・・。
【状態と発送に関して】
チラシは大切に保管していたので、とてもキレイな美品で
ある。額縁(縦22・5センチ×横31・5センチ)は、稀
少チラシを保護するための廉価品。送料は当方が負担します。
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