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1986年の作品。
ピーター・ガブリエルは、1950年2月13日生まれ、英国出身のミュージシャンです。
本作は彼の5枚目のスタジオ・アルバムで、そのキャリアで最も親しみやすい内容となり、商業的成功(全英1位・トリプルプラチナディスク獲得、全米2位・クインティプルプラチナディスク獲得)も収め、彼をポップ・ミュージックのメイン・ストリームに押し上げました。
それは、まずシングル・カットされた『スレッジハンマー』(全米1位、全英4位)がユーモラスかつ先鋭的なアニメーション・ビデオ・クリップとしてMTVビデオ・ミュージック・アワードで最多9部門を受賞したことが象徴するような、リスナーにとってわかりやすい作品として受け入れられたということがありました。
そして、収録曲のケイト・ブッシュとのデュエット『ドント・ギヴ・アップ』には、マーガレット・サッチャー首相時代の失業率増加と米国人写真家ドロシア・ラングの1936年の作品『移民の母(Migrant Mother)』にインスパイアされたガブリエル自身の憤りが、『マーシー・ストリート』には、1960年代の米国人詩人アン・セクストンが心を病みながら神無き世界の詩を綴り続けて1974年に自殺をしたことへのガブリエルのリスペクトと哀悼の情が、性急なダンス・ミュージックである『ビッグ・タイム』には、1980年代のヤッピー文化や物質主義や消費主義を批判しながらもガブリエル自身も名声を追いかけていたのではないかという内省的な自問自答が、喪失感がこもった静寂さが漂う『ウィ・ドゥ・ホワット・ウィアー・トールド』には、米国の社会心理学者スタンリー・ミルグラムが行った市民が独裁者に示す服従に関する実験から戦争での人間の心理状態に言及しようとしたガブリエルの考察があるように、楽曲ごとのテーマがわかりやすく、人権擁護やチャリティ・コンサートで演奏された曲も多いことからも、その訴求力が今までになく具体的に増していることがわかります。
さらに、以前から取り組んでいた所謂地球上の各地における伝統的なワールド・ミュージック、特にアフリカやブラジルの地域における音楽を自分のスタイルとして融合させることに積極的になっており、『レッド・レイン』の壮大なスケールのバラードの内部で細かなビートが刻まれるように、あるいは『君の瞳に』でセネガルのアーティストのユッスー・ンドゥールとガブリエルのボーカルが遠く離れた異世界を超えてラヴ・ソングを歌うように、その融合は以前よりも遥かにナチュラルな響きを持っています。
そして、それらのパフォーマンスを、当時先駆的だったフェアライトCMIデジタル・サンプリング・シンセサイザーと、オールド・スタイルな"2台のアナログ24トラック・マシン、地元のエレクトロニクスの魔術師によって改造されたノイマンのU47真空管マイクとデッカのコンプレッサー"という対照的なレコーディング・テクノロジーが支えていたのも面白いところです。
しかし何よりも今作を傑作として、音楽評論家からビギナーであるリスナーまで認めさせた大きな要因は、今作がガブリエルにとって初の"タイトル付き"アルバムであり(それまでの4枚のスタジオ・アルバムは全て『Peter Gabriel』と同じ表記がされているだけで、個別の正式タイトルは付いてなかったのです)、『So』という英単語のタイトルは、所属レーベルが彼に"適切な"マーケティングを求めるビジネス上のプレッシャーに対する簡潔にして完璧な皮肉の意味も含めて、すべてのリスナーに開かれた作品を創造しようとする彼の意志の力だったような気がします。
ジャケットの写真は、彼の素顔のモノクロのポートレートというのも、過去の彼の作品ではあり得なかったことで、何らかのギミックを用いて作品ごとに、自己を隠しペルソナを装うデザインをしてきたのですが、それらと比較すれば今作では拍子抜けするくらいに"素顔"を晒しています。
それは今作に対する自信の表れであり、自分が秘めたアーティスト・パワーに対する確信なのでしょう。
大衆性を意識したわかりやすさ、芸術性を追求した繊細なテーマの選び方、そして才能が開かれたことへの自信。
今作が1980年代を代表する傑作となったのは必然だったのです。
国内盤なので、ライナーノーツ・英詞・対訳・帯は付属しています。
レコードの保管については、専用ラックに立ててきましたが、経年により少しだけ反りがあります。鑑賞には問題ありません。
同じく経年により、白い紙の部分にシミと汚れが少しだけあります。
それ以外は美品です。
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