作品詳細 |
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本紙サイズ…横 35.5 × 縦 89.5 cm
総丈サイズ…横 47.5 × 縦 172 cm 紙本水墨・箱入 葵紋入表具 寛文11年辛亥(1671)木庵61歳 寛文10年(1670)探幽69歳 状態…オレ・微少虫穴・修復痕 【印刷ではありません】 【真作】 木庵性瑫 江戸前期の渡来禅僧。福建省生。木庵は道号、法諱は性瑫。黄檗隠元の法嗣。隠元の印可を受け剣石の太平寺住持、太平寺を法弟・即非如一に譲る。のち1655年隠元に招かれ来日、長崎・福済寺の住持となる。1660年摂津国・普門寺の隠元のもとに赴き1661年開創された宇治黄檗山萬福寺に入る。1662年即非如一とともに首座。1664年隠元を継ぎ萬福寺2世となる。1665年江戸で4代将軍・徳川家綱に謁見した。江戸紫雲山瑞聖寺など20余寺を開創、将軍より紫衣を賜わる。1680年萬福寺・紫雲院に隠退した。書は隠元、即非如一とともに黄檗三筆と称された。諡号は慧明国師。貞享元年(1684)寂、74歳。 狩野探幽 江戸前期の絵師。京都生。狩野孝信の長男。狩野永徳の孫。鍛冶橋狩野派の祖。尚信・安信の兄。名を采女、のち守信。別号に白蓮子・生明等。法号は探幽斎。若くして江戸幕府の御用絵師となり、元和7年には江戸城鍛冶橋門外に屋敷を得て、江戸を本拠地とした。桃山時代からの狩野派様式にやまと絵の柔和さや漢画風も取り入れ、優美で瀟洒な新しい画風・画題を追求した。その個人様式は狩野派全体に徹底され、江戸狩野様式となった。延宝2年(1674)歿、73歳。 豊干禅師 中国、唐代の僧。天台山国清寺にいたと伝えられ、寒山・拾得の二士を養った。画題として取り上げられ、虎に跨った姿で描かれた。生歿年未詳。 |
【印刷ではありません】表記について |
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かんたん決済 |
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領収証 |
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評価不要のお客様が多いため、評価を頂いた方にのみ、後ほど評価をさせて頂きます。 |
商品名稱 : | 【真作 葵紋入表具】掛軸「木庵性瑫賛 狩野探幽画 豊干禅師画賛」寛文11年木庵61歳 寛文10年探幽69歳 江戸前期 黄檗三筆 狩野派 書画 |
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