パティ・スミスは、1946年12月30日生まれ、米国出身のシンガーソングライター、詩人、作家、画家、写真家です。 今作は彼女のデビュー・スタジオ・アルバムで、全米チャート47位となるスマッシュ・ヒットを記録しました。 自然光に包まれるように真っ白なシャツを着て、黒いリボンを襟に巻き、黒いジャケットを肩にかけ、そのジャケットには"馬(horse)"のピンバッジが見えるという、写真家ロバート・メイプルソープがグリニッジ・ヴィレッジのペントハウスのアパートで撮影した彼女のポートレートが印象的な今作は、内容も当時のニューヨーク・アンダーグラウンドのアート、そしてパンク・ロック・シーンを象徴する、時代の寵児的作品になりました。 当時の彼女は、ギタリストのレニー・ケイ、ピアニスト&キーボーディストのリチャード・ソール、ドラマーのジェイ・ディー・ダウハティ、ベーシストのイヴァン・クラルの演奏をバックにした詩の朗読、即興によるボーカル・パフォーマンスに端を発して、今作発表の前年1974年には、メイプルソープがスタジオ代を負担し、バンドとしてのインディーズ・シングル『Hey Joe』『PissFactory』を発表し、前者にはパトリシア・ハースト(新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘で、1974年に発生した"パトリシア・ハースト事件"で狂言誘拐に関与したことで知られる)についてのモノローグを、後者には彼女がかつて工場のライン工として働いていた日々の癒しの源となっていたロックの歌詞の断片を織り交ぜ、このシングルはニューヨーク・パンク・ロックの古典となり、彼女の人気は高まっていきました。 そしてこの両曲に参加していたのが、当時彼女と共にニューヨークのパンク・ロック・シーンを牽引していたバンド、テレヴィジョンのギタリストのトム・ヴァーレインであり、彼女は1975年の初めに、ニューヨークのクラブCBGBでテレヴィジョンと共に2ヶ月間ライヴを行い、それが音楽業界の重鎮のクライヴ・デイヴィスの目に止まり、彼のレコード会社てまあるアリスタ・レーベルと契約することになったのです。 元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケールをプロデューサーに迎えた今作について、彼女は「言葉の力を融合したスリーコード・ロック(three-chord rock merged with the power of the word)」と評しているように、その内容は、初歩的なギター・ワークによるシンプルで粗野な演奏のロックンロール、彼女のボーカルの自由な精神、そして歌詞が持つ感情的な想像力を喚起させる豊かな性質、意外な選曲のカバーの改作である、ゼムの1964年の曲『Gloria』やクリス・ケナーの1962年の曲『Land of 1000 Dances』の引用や、即興演奏やアヴァンギャルドなど他のジャンルの表現スタイルを取り入れたものであり、ニューヨーク・アンダーグラウンドのポスト・ビートニック詩人の言葉とパンク・ロックのサウンドのハイブリッドのようになりました。 今作のアルバム・タイトルについて、彼女は「今こそ再び"馬"を走らせる時だという願望を込めた」のが、その由来だと語っています。 それは、かつて1960年代の社会的混乱のなかで多くの尊敬すべきロック・ミュージシャンの死のあと、ロック・ミュージックを再活性化への決意表明でもあったのです。 そのためには、自分たちの手綱を引かなければならない。 1975年は、まさに新しい"馬"が解き放たれた瞬間でもあったのです。