1960年代後半、デ・トマソのオーナーで創始者であるアレッサンドロ・デ・トマソと個人的に親しかったイタリア系アメリカ人の
リー・アイアコッカが、当時副社長を務めていたフォードのブランドイメージ向上のために「GT40のイメージを踏襲するスポーツカー」
のプロジェクトを企画し、このプロジェクトにデ・トマソを招き入れたことによって誕生したのがパンテーラである。
このプロジェクトの最大の目標は、徹底的にコストダウンを推し進め大量生産して廉価なスポーツカとして売り出すことにあり、
これを受けてパンテーラは前作のマングスタ同様、フォード製エンジンを使用することに決定した。
機構・スタイル
ボディ構造はマングスタまで受け継がれていたバックボーンフレームを捨て去り、量産性に優れるモノコックを採用した。
サスペンションは前後ダブルウィッシュボーンであるが、リアサスペンションの剛性が充分ではなく破損しやすい欠陥を抱えていた。
この点は、後の改良によって修正されている。
エンジンはフォードの351V8、生産工場の名を取って通称「クリーブランド」と呼ばれる、排気量5.8リットル (L) の
水冷V型8気筒OHVエンジンを搭載する。330馬力、45kgf・mを発生するが、特にチューニングされたものではなく、
ほとんどノーマルのままミッドシップに搭載している。
このエンジンの動弁機構はOHVで、SOHCやDOHCに比べてシリンダーヘッドが小さく、エンジンそのものの重心は高くない。
加えてエンジン全体も排気量に比して非常に小型軽量である。しかし、潤滑に一般車と同様のウエットサンプ式を採用していたため、
エンジンの搭載位置が高くなり、その影響により重心も高くなってしまった。
パンテーラは、アメリカのニーズに合わせて車高を高く設定していたため、これらが相まって挙動の不安定さに拍車をかけた。
加えて、ライバルであるフェラーリやランボルギーニが自社製のエンジンを搭載していたのに対し、
パンテーラはフォード製のエンジンを搭載していたため、一部のエンスージアストからは「純粋なスポーツカーではない」と
根拠のない非難まで浴びてしまう。
しかし、パンテーラはそれらのライバルに対して半額のプライスタグをつけていたため、競争力という点ではかなり強かった。
目標生産台数4,000台には及ばなかったが、最盛期の1972年には2,700台以上を記録、この種のスーパーカーとしては
大成功の部類に属する販売台数に達した。1973年に到来したオイルショックの波には勝てず、快進撃を続けていた生産台数は急下降してしまうものの、
基本的なスタイルは維持したまま走行性能に関わる改良を続け、1990年代に至るまで非常に小規模ながら生産され続けた。