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目次 草深い路傍の菊花紋 播磨の木地山 奥但馬の木地山 北但馬の木地山 惟喬親王ときじや著者略歴 ふじもとこおいち。
明治三十六年、愛媛県伊予三島市に生まれた。
昭和二年、関西大学専門部文学科卒業。戦後十四年間、雑誌「日本詩壇」の編集に参画し、現在日本詩人クラブ会員。きじやの研究は、詩劇や歌謡の創作の傍ら日本神話と民謡をたずねて歩いた三十年間の賜である。
著書に『詩集・夜光虫』ほか民謡集など数冊。(本データは書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
明治36年(1903)5月22日愛媛県に生れる。 大正13年、関西大学専門部文学科に入学。
昭和2年、同卒業。高校教諭を勤める傍ら、数多くの詩・歌曲を創作。代表作に詩集「夜光虫」がある。
“歌える詩”を主張・実践し、新日本放送(毎日放送の前身)より放送された「花・虫・魚」は、昭和29年度文部省芸術祭(放送部門)参加作品として好評を博す。本学の関西工業専門学校(昭和26年3月有終)校歌の作詞者でもある。
関大在学時代より50余年間にわたり、日本各地の僻地や秘境を訪ねて歩く。
紀行文に、山の民・木地師についての見聞をまとめた『木地山紀行』、神の鎮座地・磐座(いわくら)を訪ねた『磐座紀行』がある。
この他にも、ハンセン病医療に貢献した。人々の伝記を著すなど、その活躍は多岐にわたる。
昭和57年(1982)11月23日没した。79歳
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