絶版希少図録本・写真解説本 明治の工芸 中川千咲編 日本の美術
昭和44年発行
至文堂
監修 東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館
中川千咲 編
106ページ
約22.5x18x0.7cm
カラー(口絵写真)モノクロ 写真図版101点
※絶版
一つのテーマを深く掘り下げ、その道の研究家、専門家、刊行当時の最高峰の執筆者が手掛けたテキスト、写真解説。
カラー口絵写真に始まり、本文はモノクロですが写真図版は数多く、
国立博物館が総力を結集して「日本の美」を追求、古代から現代に至るまでの日本における文化・芸術の深さを探る全集のうち、明治の工芸。
日本を代表する、明治時代の超絶技巧の金工、陶工、蒔絵作家、彫刻家、染織作家たちによる作品の数々を網羅して収載。
江戸末期/幕末~明治時代の工芸は、そのデザイン・技術ともに日本の美術史上最高峰の質でありながら、海外輸出用に制作されたもので、超絶技巧がこらされた細密精巧な作品群は、「外国人好みの玩弄趣味的細工物」とされ、ほとんどが海外のコレクター、美術館博物館に所蔵されており、国内では2000年代以降に再評価され始めたばかりです。
本書は50年以上前にすでに、明治の工芸品とその作家にスポットを当てて、国立博物館が監修、当時の研究第一人者が論考解説、加納夏雄、海野勝珉などの金工をはじめ、明治の工芸美術・名工たちを全体的にとらえようと試みたもの。
明治の工芸に関しては、関連書籍を始めとして情報も少なく、さらなる研究が待たれます。
解説や論考も深い内容ばかりで、小ぶりながら二段組テキストで情報満載・内容充実の研究書となる絶版図録本。
【日本の美術シリーズ】
「美術館や博物館は、「もの」を通して、そのものの歴史的な意味や特質、あるいはその美しさをひろく一般に理解させ、感じさせる場所である。それ故、博物館の専門家は「もの」をみる眼とそれを知らせる力を具えることを建前とする」(日本の美術「監修のことば」より 1966年東京国立博物館館長・浅野長武)
「日本の美術」は昭和41年に株式会社至文堂より、日本美術に関わるあらゆる事柄を各号1テーマで特集する雑誌として、当時の三国立博物館の監修の下に創刊。(その後、文化庁協力、独立行政法人国立文化財機構が監修)。
創刊から43年間は株式会社至文堂から、その後2年半は株式会社ぎょうせいから刊行され、半世紀近くにわたり愛読されてきました。
本書は、各号がちょうどひとつの展覧会であるように、ひとつのテーマに関する図版を多く集め、その歴史的・文化的背景を含めた深い理解を、研究者のみならずひろく一般に供する場となっていました。
【目次】より
明治工芸の概観
殖産興業・輸出振興策に発して/海外博覧会への参加/内国勧業博覧会と他の展覧会・団体/指導と教育/保護・奨励/
明治調ということ
陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 工芸
西洋窯技の移入/初期の動き/技術改良と意匠改革の叫び/一般陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 と陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 工芸の分離
染織丁芸
西洋技術の導入/染織工芸の展開/後期の状態
金属工芸
当初の打撃/彫金の復活/鍛金の新路/鋳金の人々/末期の新傾向
漆工芸
漆工芸の立直り/東京の名工達/その他の人々/後期の動き
ガラスと七宝
ガラスの発展策/七宝の作家達
その他の工芸
牙彫と輸出/牙彫の頂点/牙彫の意義/象嵌/介・甲工/木工/竹工
図版目録
参考文献
索引
明治工芸と技術
明治工芸略年表
【作品写真図版解説一部紹介】
旭彩図花瓶 清風与平(宮内庁)
与平は京都清水の伝統ある陶家の三代に当る。作は純日本風で、当時「凡塵の外に超出す」とも評されたように品格極めて高く、これはそうした彼の作風を最もよく示した優品である。明治時代を通じ陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 界に重きをなし、1893年工芸家としてはじめて帝室技芸員に挙げられた。
薩摩赤焼香炉 沈寿官(宮内庁)
沈寿官は鹿児島県苗代川の薩摩焼名家の後裔で薩摩焼の改良発展につくした。精密華麗が明治工芸の一つの特色であり、それがむしろ欠点として表われる場合が多いのに、ここでは見事な成果を挙げ、品格も備えた優作に仕立られているところ、細技の巧とともに驚かされる。
金象嵌八角壺 鹿島一布(宮内庁)
一布は徳川期の鐔に用いられた布目象嵌(素地にたがねで布目をきり、他の金属を布目にかませて平にする)に独特の境地を開いた。これは各面の文様に工夫をこらし、それぞれの絵画文様、緻密な幾何文様あるいは唐草文様に熟達した象嵌の技を駆使し精密を
極めた作である。
銅製群蝶図花瓶 金沢銅器会社(東京国立博物館)
これは加賀象嵌の技にならった蝶で飾り、器底に「大日本帝国石川県金沢銅器会社製」の銘が刻んである。同会社は金沢に伝承された加賀象嵌の技術を生かした工芸品の製造を目指し明治10年( 1877)に創立され、海外向きに盛んに製作したこともあった。これもその頃の作で1893年(明治26)シカゴのコロンブス博覧会に出品された。
太平楽置物 海野勝珉(宮内庁)
勝珉は雄渾な彫法とともに色の異った金属を象嵌して花やかな彫金の味を出すのを得意とした。これは太平楽(雅楽の一つで天下泰平を祝い四人で舞う)の舞人で彫りと金属の配色が精妙であり、題材にふさわしい品格と花やかさをかもし出している。明治32年(1899) 56歳、円熟し切った時の作。
鯉図額 加納夏雄
夏雄は幕末から明治にかけての彫金の第一人者で、美術学校教授、帝室技芸員ともなった。片切彫を得意とし、日本画の筆蹟そのままを金属の上に表わしたが、これもよくその技を示し、かつ静かななかに色調の妙も見せている。明治十四年の第二回内国勧業博覧会の出品。
深林図額 岡部覚弥(東京芸術大学)
覚弥は東京美術学校に学び、後欧米に留学して彫刻など強勉した。作風は伝統にこだわらず新鮮で当時彫金界の新鋭として嘱目された。これは空を銅地、畠を真鍮としてはぎ合わせ、その上に土坡は黒味銅、樹木は種々の合金で微妙な高低をつけて象嵌している。
梅蒔絵硯箱 白山松哉 (東京国立博物館)
松哉は明治以来現代にかけての蒔絵技巧の第一人者といわれる。作品には独創性の強いものと、写実的傾向を示したものがある。この硯箱も技術の粋が尽されているが、梅の古木などに後者の独特の妙技が発揮されており、そこには一種の硬さ、冷たさもいく分あるが明治の蒔絵の通弊といえよう。
烏鷺蒔絵菓子器 柴田是真(東京国立博物館)
是真は江戸末期、蒔絵師あるいは画家として既に一家をなしていた。極めて意匠力に富んだ作家で、明治には工芸界を代表する名工であった。これは烏鷺の金銀の対照、器形の直線的な構成法などに近代的な感覚もうかがえ、彼の意匠力と絵のうまさをよく示した優作である。
ほか
【明治工芸の概観 より一部紹介】
殖産興業・輸出振興策に発して 江戸時代には大部分の工芸が、幕府・諸藩、あるいは富裕町人などの保護・支持によってささえられてきたが、維新の社会変革に際し、工芸はその保護・支持者を失い逼塞のやむなきに至った。工人達も持っている技術を何らかの形で生かしてゆくか、転業するかしかない状態に追い込まれた。
ことに高級工芸品においてそれが甚だしかったが、中でも主に武士階級を相手とした金工、武士や富裕町人によってささえられていた蒔絵などは窒息状態に陥ってしまった。しかし、陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 や染織は一時衝撃をうけたとはいえ、一般の日常生活必需品ではあったし、かつ各産地が特色をもっていたこととて、金工や漆工のような打撃をこうむることはなく、むしろ早くから西洋の材料・技術の研究すら試みていたのである。
こうした裡に、明治政府はいち早く、殖産興業・輸出振興の国策を打ち立てたが、高級工芸品も、産業的工芸も含めてその方針のもとに扱われ、動いて行くことになった。すなわち産業の一部として、工業につながるものとしての場に置かれたのである。
産業としての立場からの改進は、西洋の材料・技術の導入によって始まるが、たまたま幕末からの細密精巧な玩弄趣味的細工物が外人に喜ばれたところから、こうした傾向の作品が輸出振興に一役買うことにもなった。
しかし、産業の立場、輸出の面、あるいは工芸として本格的に活動をはじめるのは一八七三年(明治六)のウィーン万国博覧会に参加してから以後である。
海外博覧会への参加 明治政府の殖産興業・輸出振興の方策に刺激・影響を与え、大いに推進せしめたのは海外の博覧会への参加であった。海外の博覧会にはすでに一八六七年(慶応三)のパリ万国博覧会、一八七一年(明治四)のサンフランシスコエ業博覧会に参加し、工芸品など注目されてはいたが、参加態度も消極的でありそれによる影響などもさしてなかった。それ以後、海外の博覧会には機会あるごとに参加し、明治全期を通じ美術工芸関係の参加したものだけでも10を越している。その中でも特筆すべきは一八七三年(明治六)のウィーン万国博覧会と、一九〇〇年(明治一二十三)のパリ万国博覧会である。
ウィーン万国博覧会は、たまたまさきの政府の方策を推進する好機とし、日本の諸物品の宣伝、西洋諸国の学芸、技術の習得、輸出振興に関する調査・研究、あるいは博物館・博覧会について学ぶことなどを目的として非常な意気込みのもとに参加した。政府は苦しい財政の中から五十六万円も支出したくらいで、工芸関係でも輸出に関する品や、精良な作を集めるため、工人を呼び集め指導したり、あるいは製造所を設けるなどなみなみならぬ熱を入れ、努力したのである。博覧会ではかなり好評を得て、当時昏迷の間にあった工芸界に大きなはげましとなった。またこの博覧会のためのいろいろな準備がすでに工芸製作の奨励ともなったし、後の発展の一つの基盤となったものも多かった。
(後略)
【図版目録】より一部紹介
七宝花鳥文様花瓶 並河靖之 宮内庁
布引滝蒔絵長硯箱 小川松民 東京国立博物館
旭彩図花瓶 清風与平 宮内庁
辰砂花瓶 竹本隼太 東京国立博物館
青華玉蜀黍図花瓶 加藤友太郎 宮内庁
薩摩焼香炉 沈寿官 宮内庁
青華氷梅花文花瓶 宮川香山 宮内庁
錦襴手飾壺 錦光山宗兵衛
(以下所蔵先略)
薄藍鼠地牡丹紫陽花菊文繻珍裂(部分)
葵祭図織物掛幅(郎分)二世川島甚兵衛 川島織物
秋草鶉図繻珍掛幅 五世伊達弥助
祇園山鉾図繻珍壁掛 佐々木清七
悲母観音図紛錦額(節分)二世川島甚兵衛
草花図綴錦壁掛 二世川島甚兵衛
太平楽置物 海野勝珉
銅製群蝶図花瓶 金沢銅器会社
金象嵌八角壺 鹿島一布
鯉図額 加納夏維
深林図額 岡部覚弥
烏鷺蒔絵菓子器 柴田是真
梅蒔絵硯箱 白山松哉
菊螺鈿蒔絵絹 川之辺一朝
七宝小食図盆 濤川惣助
ガラス筆立
雁来紅図屏風 石川光明
ウィーン博覧会本館日本列品所(「澳国博覧会参同紀要」より)
ウィーン博覧会本館日本列品所内部
パリ万国博覧会、日本部の工芸品日本部の織物
第二同内国勧業博覧会案内
第二回内国勧業博覧会美術館陳列品
牡丹図手板 加納夏雄
色絵菊花文花瓶 九代帯山与兵衛
四季花鳥図友禅染屏風 西村治兵衛
鶺鴒置物 加納夏雄・海野勝珉合作
菊花虫図菓子器 正阿弥勝義
銀製百寿花瓶 鈴木長吉
銀製鳳凰高彫花盛器 香川勝広
蟹水盤 宮川香山
色絵椿梅図瓢形水指 三浦乾也
色絵竹図花瓶 伊東陶山
瑠璃釉金彩仙盞瓶(一対の内)四代高橋道八
色絵雪輪散文大花瓶 沈寿官
色絵金襴手楼閣文花瓶 浅井一毫
色絵桧扇図皿(吾妻焼)
青磁花瓶 諏訪蘇山
色絵竜図花瓶 石野竜山
ジャカード機(「西陣」より)
皇居造営内部装飾裂
薄茶地流水貝薔檄文繻珍裂
錦地百蝶図壁掛 五世伊達弥助
祇園山鉾図繻珍壁掛(部分)佐々木清七
花鳥図刺繍壁掛 西村総左衛門
悲母観音図綴錦額 二世川島甚兵衛
阿国静舞図繻珍掛幅 鳥居栄太郎
孔雀図刺繍屏風 田中利七
鳳凰亀甲花菱模様帯地 伊達虎一
アールーヌーボー風模様型友禅裂
銀製千羽鶴図花瓶 加納夏雄
月に雁図額 加納夏雄
和歌浦図額 香川勝広 宮内庁
鶺鴒岩躑躅図巻煙草箱 塚田秀鏡
松図手板 香川勝広
朧銀琵琶湖旭日図盆 海野勝珉
蝙蝠図手板 海野勝珉
花籠 海野勝珉
柳馬図巻煙草入 海野勝珉
山水図額 鹿野一布
朧銀富士図煙草箱 黒川光長
朧銀桜花形菓子器 黒川栄勝
茄子形水滴 平田宗幸
水滴 本間琢斎
柳蓮鷺図花瓶本 本間琢斎
銅製花瓶 秦蔵六
鷲置物 鈴木長吉
波濤文水盤 鈴木長吉
濡れ獅子図額(部分)大島如雲
青銅鐘 岡崎雪声
日本橋装飾獅子 岡崎雪声
木の葉文文箱 柴田是真
蓮鴨蒔絵額 柴田是真
江之島図蒔絵額 池田泰真
秋田蒔絵小箱 池田泰真
菊螺鈿蒔絵棚(部分)川之辺一朝
山水図手板 川之辺一朝
熨斗若松図盆 小川松民
押合菊蒔絵平棗 小川松民
藤牡丹蒔絵手箱 川之辺一朝
蒔絵螺鈿菓子器 白山松哉
岩に獅子図手板 白山松哉
菊江錦蒔絵料紙硯箱 植松抱美
牡丹図手板 二十代堆朱楊成
ガラス切子鉢 宮垣秀次郎
七宝花盛器 濤川惣助
牙彫髑髏 旭玉山
牙彫官女 旭玉山
牙彫鷹匠置物 石川光明
牙彫藤原鎌足像 島村俊明
牙彫鷲置物 金田兼次郎
花文小箱 芝山宗一
波に千鳥彫嵌大火鉢 木内喜八
葛にこおろぎ図手箱 野原貞明
楼閣山水彫紫檀※紫檀材質商品屬於華盛頓條約条約牴觸物品,無法國際運送。額 堀田瑞松
【中川千咲】
昭和期の美術史家。東京国立文化財研究所美術部長、共立女子大学教授を歴任。